昭和52年05月13日 朝の御理解



 御理解 第78節 
 「神の機感に適うた氏子が少ない。身代と人間と達者とが揃うて三代続いたら、家柄一筋となってこれが神の機感に適うたのじゃ、神の機感に適わぬと身代もあり力もあるがまめにない。まめで賢うても身代とみたすことがありまた大切な者が死んで身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば無事達者で子孫も続き、身代も出来、一年勝り代勝りのおかげを受けることが出来るぞ。」

 身代も出来無事達者で一年勝り代勝りのおかげが受けられると。と言う事は天地の親神様のお心を分かり、おかげをおかげと解らせてもろうたらとあります。しかも神の気感に適うた信心が三代続いたらとも言っておられます。そしてそういう神の大恩も分かり段々おかげを頂いて年勝りのおかげを頂いて行く事が出来る、そういうおかげの世界というものはなら、それこそ無風状態と申しましょうかね、何にも事なかれというですか。そういう世界ではないと思う。
 どんなにお徳を受けても、どんなに力を頂いても、矢張り言うならば雨もあれば嵐もある。いろんな事があるというふうに。けれどもそれを受けさせて頂く信心が出来ておると言う事です。お徳を受けて神様のご信用を頂いて、それこそちゃんと極楽におるように蓮のうてなの中に座っとると言ったよな事ではない。やっぱり様々な問題もあり、普通で言う難儀もあるけれども、それを難儀とせんだけの、言うならその雨やら風やらの事にもお礼が言えれる信心。
 昨日福岡支部のご大祭でまあ、盛大にお祭りがございましたが、頂きましたご理解の中に、素直に聞いて素直に行うと言う事を頂きました。私この素直に聞いて素直に行うと言う事が出来なければならん。素直に聞いてお話を頂きながらそれはそうだろうけれどもと、先生はああ言われるけれどもと、言う様な頂き方をせずに、それをまあ言うなら赤のものを白と言うておられても、そうだなという頂き方をすれば、言うならば白と思うとったのが赤に成程の世界を私はおかげの世界だと思う。
 又はそれを行うに当たってもです。素直にそれを受けて行じて行くと言う事は、おかげの頂いていけれる、いわゆる久冨繁雄さんが頂いておられるように、素直心一つにて雲の上まで昇る道があると言う様な道には繋がらないと思う。それはやろうと思えば人の真似の出来ないような、昨日あちらの長男の徹さんのお話をした事でしたけれども、もう行おうと思うたら、どんな人の真似でけんような修行でもいたします。断食であろうが水行であろうがですね。
 もうそれこそ本当にどんな表行にかけたらこの人の右にでる者はなかろうと言う位に、平気でやるです。行うと言う事になると。所が今度は素直に聞こうとしない。又素直に聞いてもです。それを行わなかったらおかげの世界には繋がらない。だから素直に聞いて素直に行うと言う事が大事だということを芯にまあ、ご理解頂いたんですけれども。今日の私はこの78節をですね、段々これをいろんな角度から頂くんですけれども、無事達者で子孫も続き身代も出来、一年勝り代勝りのおかげを受ける事が出来ると。
 無事達者で子孫も続きと。ならそういうおかげを頂いたら、もう何にもないかと言う事ではないと思うです。様々な事がありますけれども、様々な事の度に、言うならば年勝り代勝りというでしょうか。色々な事の度に自分の信心が開けていくのであり、大きくなっていくのであり、限りないおかげの世界へ繋がっていくその基礎ともなりますもの、それを合楽では合楽理念のマスターと言うわけです。
 だから合楽理念を体得させて頂いて、その基本になるもの親に孝行するとか、例えば耐え切る信心、泥の信心が貴重になるのだと。そういう信心が受け継がれて、私はそういう代々の信心と言う事になるのだと。ただおかげだけを受け継ぐというのではない。そういう信心が受け継がれていかなければならない。其れを初代の時分にはああいう修行もなさったこういう修行もなさったというから、二代三代がそれを受けきらんのである。真似が出来んのである。
 だから合楽理念をもって言うならば、身やすう楽しゅうそして有難う愉快に行じていけれるその基礎になるものを作って、家柄一筋となってというのは私はそういう生き方が、家族全体の上に備わってくるというか出来てくるおかげ。私はあの心を開くと言う事を申しますが心を開くというのは平穏無事の時には開けません。何かがそこにあります時にです、自分の胸にははばかりきらぬ程しの問題なら問題に直面致します。
 そして日頃の信心を、それも合楽理念を元にして思うてみたり、行じてみたりして行く所から、もう翻然として心が開ける。難儀と思うておったのがお礼を申さねばならない事に気がつかせて貰ったり、分からせて貰ったりする。開けると言う事はもう開けた上に開けると言う事なんです。大きな信心というても一遍大きくなれるもんじゃない。何かのたんべんに心が開けに開けて行くと言う事だと思う。小さな胸に大きな問題をかけますと、それこそ胸が張り裂けるようなというふうに申します。
 だからそういう時にね、大きな信心というか、次のおかげが開けてくる土台が出来るんだと。まずそう頂かしてもろう、心が開けたときに、素晴らしいおかげの世界がある。そして、其れはもうあなたのものだと言う事になるのです。信心を頂いて身に徳を頂いて、それが子に孫に愈々年勝り代勝りのおかげが受けられると言う事は、そういうおかげを受けられたら子供やら孫やらが、愈々それこそ無風状態のような中に、風も吹かなきゃ雨も降らんと言った様なもういうなら。
 結構な世界に住む事が出来るかと言う事ではない。やはり雨にもあえば風にもあう。初代が大変お徳を受けておられても、二代のときに御比礼がおちると言った様なのも、残してある事は間違いのないのだけれども、いわゆる合楽理念の基である所の、親に孝行すると言った様な所が合楽理念の基礎という、親の言う事を素直に聞いて素直に行うという信心が出来て初めて、親の徳を維持して行く事が出来るのです。だからそれこそ家柄一筋となって出来なければならんと言う事です。
 どこにでも一つの家の家風といったものがありましょ、ね、その家風の中に親を大切にする考え方とか、一切のおかげの基調というのは泥の信心だとか、と言う様な受け方をする生き方がです、子供にも残り孫にも伝わっていかなければならんのです。だから合楽理念はいうなら子供に孫に代々、残しておかなければならない信心です。でなかったら残してある、いうならばお徳も表す事は出来ません。
 私今日は特にこの家柄一筋となってと言われる所と、おかげを頂いた暁は無事達者で子孫も続きと、こういうと実に楽な世界が開けてくる。例えていうならば分かりやすくいうならば、お金ならお金を残しておくと言う事。だからそのお金の使い方を体得しておかなければ、そのお金が却って害をするという結果にすらなる。お徳を残しておくと言う事は、そのお徳の使い方を知らなければ、又それを維持していく生き方を身につけておかなければならない。そこに家柄一筋がいるのです。
 例えば大坪家では、こういう時にはこういうような受け方を、もう淡々として受けていく。信心さして頂いている一つの家庭というものはです、全てを信心で受けると言う事はこう言う事、それも難しい事ではない、理念に基づいた受け方ができれる、そう言ういうならば家風というものが家柄になり、それが一筋となってと言っておられます。徳さえ残しておけば孫が結構けだらけな目に合うと言う事ではないのです。ね。
 いうならばその使い方、その維持をしていく上には、どうでも私は合楽理念そのものがです、家の家風ともなり、家柄一筋ともならなければならない。今日はここの所を皆さんに分かって頂きたい。自分が例えば困った問題を、いやそれはおかげだぞと受けて成程それをおかげにしていく。お父さんがそうであれば家内もそう、子供達も成程そうだなというものが分かっていく。それが日々の中にですいうならその家に染込む様に家柄一筋というものが出来てくのです。
 そこの家のいうならご流儀というのが出来て来るのです。それが合楽理念をマスターして、それが家の家風とも家柄とも一筋ともならなければならないと言う事です。その中には、一切をおかげにしていけれる、一つの原理が説いてある。しかもそれが大変難しい。それがいつの間にかしみこんでいく。私は身に徳を受けると言う事と同時に、家に徳を受けていくと言う事はそう言う事だと思うです。
 今日はその家柄一筋となってと言う事が合楽理念を持ってするならば、それが家宝になると言う事をまあ聞いて頂いて同時にならおかげを頂いた、いうならば神様の大恩も分かり神様の働きの何たるかも解らせて貰えば、無事達者で子孫も続きと仰るが、無事達者で子孫も続き年勝り代勝りと言う様な事は、如何にも楽なと言う様なおかげの世界に住む事が出来る。例えて思うてみたらですね、そういう例えば有難い事ばかり続いたらどうだろう人間は馬鹿になりますよ。
 思う通り物事がいったらそれには力も何にもない。いうなら世界があるだけで、人間は愈々無気力になってしまうだろうと思います。南方の食べ物が豊富にある、野生しておると言った様な所の人種の人達が働く事をしないと、着物もいらん、食べ物もあると言う様なだったらもう、いわゆる無気力な人間を作る事になるように、私は信心というのはね、例えば商売でいうなら売れる事もありゃあ、売れない事もある。
 儲かる事もありゃあ、損する事もある。儲かったり損をしたりするその中をですね、信心で頂いていくという所に、私は本当のおかげというものは感じる事が出来ると思うのです。もう本当のいうならば楽な世界という事の中には、おかげを感じられない。ですから例えばお徳を受けておっても、そう言う平穏無事と言う事だけではない。ですから私共が今合楽で言われる。
 合楽理念を本当にマスターして、そのいうならば合楽理念の中にある、柱とも芯ともなる信心を頂いてこういう時には、こういう受け方こういうあり方。というものをです私はしっかり、自分の身に付けるだけではなくて、家にもしみこんでしまうように、そこの家のいうならば家風と言った様なものが、家柄一筋となって子にも孫にも伝わっていくと、そういう所を今日は聞いて頂きました。
 とにかく家柄一筋となって、それが二代三代じゃない、その生き方がその家の一つのご流儀となって、愈々おかげの世界を開いて行く事が出来る。しかも開いて行くと言う事は、そういう売れたり売れなかったりと言った様な、儲かったり損をしたりといった時にで。例えば損をした時に、売れなかった時に、心というものは開けるものだと言う事です。だから開けに開けていくいわば、手掛かりを合楽理念は説いてあるという風に思います。   どうぞ。